"have" "bad" "ask" "last"などの単語に現れる母音/æ/は、アメリカ英語では舌の前の部分が下がる母音[æ]である。図1に示されているように、この母音を発音する際の舌の位置は日本語の「エ」と「ア」のちょうど中間で、音色も「エ」と「ア」の中間のような音である。カナダ英語では、舌の中央部が下がる母音になる傾向があるため、日本語の「ア」と同じ音色([a])で発音される。ただし、鼻音/m n ŋ/と/g/の前ではこの傾向は見られず、アメリカ英語と同じ[æ]である。以上のことを表1にまとめ、会話モジュールに出現する単語例を挙げる。
図1. 日本語の母音(黒)とカナダ英語(朱)、アメリカ英語(青)の/æ/を発音する際の舌の位置
アメリカ英語 | カナダ英語 | |||
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[æ] | asking会話 last会話 |
/m n ŋ g/の前 | [æ] | advanced会話 transfer会話 |
その他 | [a] | ask会話 last会話 |
"lot"や"problem"、"sorry"、"borrow"などの語の下線部の母音/ɑ/は、舌の後ろの部分が関与する母音である。カナダ英語では、"lot"や"problem"などの語では、図2に示されているように舌の後ろの部分がかなり低いところまで下がるが([ɑ])、"sorry"や"borrow"のように/r/の前では舌が高い位置で発音される([o~ɔ])。そのため、/r/の前以外では、「ア」に近い音色になるのに対して、/r/の前では「オ」に近い音色になる。
この母音について、カナダ英語とアメリカ英語の会話モジュールを比較する限り、アメリカ英語では、いずれの音環境でも舌の後ろの部分は低めであることが多く、/r/の前で多少高くなる場合があっても、カナダ英語ほどは高く上がらないようだ。
図2. 日本語の母音(黒)とカナダ英語(朱)、アメリカ英語(青)の/ɑ/を発音する際の舌の位置
アメリカ英語 | カナダ英語 | |||
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[ɑ] | sorry会話 borrow会話 |
/r/の前 | [o~ɔ] | sorry会話 borrow会話 |
その他 | [ɑ] | lot会話 forgot会話 |
"right"などの単語に現れる二重母音/aɪ/および"house"などの単語に現れる二重母音/aʊ/は、アメリカ英語では初めに舌の真ん中の部分が低く下げられる( [aɪ] / [aʊ] )。一方、カナダ英語では、無声子音の前では始まりの舌の位置が高め ( [əɪ] / [əʊ] ) になることがある。カナダ英語で起こるこの現象をCanadian Raising (CR)と呼ぶ。アメリカ英語では「アイ/アウ」に近いのに対して、CRが起こる場合は、「オイ/オウ」や「エイ/エウ」に近く聞こえる場合がある。なお、CRは地域差や個人差があり、特に若い世代のカナダ英語話者のあいだでは減少傾向にある。
図3. カナダ英語(朱)とアメリカ英語(青)の/aɪ/ /aʊ/を発音する際の舌の位置
アメリカ英語 | カナダ英語 | |||
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/aɪ/ | [aɪ] | alright会話 | 無声子音の前:[aɪ ~ əɪ] (CRあり) | right会話 |
有声子音の前:[aɪ] (CRなし) | kind会話 applying 会話 | |||
/aʊ/ | [aʊ] | out会話会話 house会話 |
無声子音の前:[aʊ ~ əʊ] (CRあり) | out会話 house会話 |
有声子音の前:[aʊ] (CRなし) | town会話 |
発音モジュール<アメリカ英語とイギリス英語の発音の違い>の§2.7で、"pasta"、"plaza"、 "Iraq"、"Vietnam"など外来語の下線部の"a"は、アメリカ英語では舌の後ろの部分を下げて発音する/ɑː/で、イギリス英語では舌の前の部分を下げて発音する/æ/であることを説明した。カナダ英語における外来語の"a"の発音は、イギリス英語と同じく前舌母音の/æ/が多いとされてきたが、近年はアメリカ英語の影響で後舌母音の/ɑː/も増えている。
カナダ英語 | アメリカ英語 | イギリス英語 | |||
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[æ] | pasta会話 | [ɑː] | pasta会話 | [æ] | pasta会話 |
発音モジュール<アメリカ英語とイギリス英語の発音の違い>の§3.1でアメリカ英語とイギリス英語では、発音が異なる語があることを説明した。カナダ英語では英米両方の発音が観察されるようだが、アメリカと同じ発音の方が主流である。英米の発音とカナダ英語版会話モジュールで観察された発音を下の表にまとめる。
単語 | 会話モジュール | カナダ英語 | アメリカ英語 | イギリス英語 |
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vase | 「謝る」 | /veɪz/ 会話 |
/veɪs/ 「ヴェイス」 会話 |
/vɑ:z/「ヴァーズ」 会話 |
tomato | 「程度についてたずねる」 | /təmeɪtoʊ/ 「トゥメイロウ」 *2番目の/t/は有声化する 会話 |
/təmeɪtoʊ/ 「トゥメイロウ」 *2番目の/t/は有声化する 会話 |
/təmɑːtəʊ/ 「トゥマートウ」 会話 |
herbal | 「好きなものについて述べる」 | /ɝːbl/ (hを発音しない) 会話 |
/ɝːbl/ (hを発音しない) 会話 |
/hɜːbl/ (hを発音する) 会話 |
schedule | 「助言する」 | /skedʒuːl/ 「スケジュール」 会話 |
/skedʒuːl/ 「スケジュール」 会話 |
/ʃedjuːl/ 「シェジュール」 会話 |
Boberg, Charles (2014) The English Language in Canada: Status, History and Comparative Analysis. Cambridge University Press.
新城真里奈(2015) 「英語モジュールにみる内部圏の英語変種における発音の諸相」『グローバル・コミュニケーション研究』第2号、神田外語大学グローバル・コミュニケーション研究所、57-72頁
斎藤弘子(2015) Vowel Shifts of English, 『グローバル・コミュニケーション研究』第2号、神田外語大学グローバル・コミュニケーション研究所、93-102頁
矢頭典枝(2014)「カナダ英語の特徴に関する一考察―日本人英語学習者の言語意識の視点から―」『カナダ研究年報』第34号、日本カナダ学会、37-56頁
矢頭典枝(2015) 「英語モジュールにみるカナダ英語の特徴」『グローバル・コミュニケーション研究』第2号、神田外語大学グローバル・コミュニケーション研究所、73-91頁
監修: 斎藤弘子(東京外国語大学)、矢頭典枝(神田外語大学)
研究協力者: 新城真里奈
このページは、神田外語大学グローバル・コミュニケーション研究所研究プロジェクト助成金によるものです。
はじめに
まず、カナダ英語、アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語を会話モジュールの「招待する」を用いて聞き比べよう。
カナダ英語は、アメリカ英語と同じに聞こえ、イギリス英語とオーストラリア英語とはかなり発音が異なることがわかるだろう。発音モジュール「アメリカ英語とイギリス英語の発音の違い」で解説したように、カナダ英語はアメリカ英語と同様、carやcartといった語で、母音のあとの/r/を発音するR音性的な(rhoticあるいはr-full)英語である。
カナダ英語とアメリカ英語の発音がほぼ同じであるのは、1776-1793年の間、アメリカ独立革命を逃れてカナダ(当時は英領北アメリカ植民地)に大量流入した政治亡命集団、いわゆる王党派の英語がカナダ英語の基盤になっているからである。このとき、新しく誕生したアメリカ合衆国の中北部から北上した王党派の数は約5万人ともいわれ、英領北アメリカ植民地の多数派を形成し、英語系カナダの基盤を作った。アメリカ合衆国では、同じ中北部から西部開拓がはじまり、現在のアメリカ英語の標準発音とされる一般米語の原型が広範囲に広まっていった。つまり、カナダ英語とアメリカ英語は同じ起源をもつのである。その後、英領北アメリカ植民地では、1816-1857年をピークに植民地政府の斡旋によりイギリス本国から大量の移民が到来し、その数は最終的に先住者である王党派とその子孫の数を上回ったが、イギリス移民の多くが話していたと思われる非R音性的な英語が、先住者たちのR音性的な英語よりも優勢になることはなかった(矢頭 2015:76-7)。
アメリカ英語とカナダ英語の音体系はほとんど同じであるため、アメリカ英語モジュールで記述されている発音説明はカナダ英語版にも当てはまる。他方で、カナダ英語に特有の発音として「カナディアン・レイジング(Canadian Raising)」などが挙げられるが、これらは一般の人々はほとんど気づかないほど、微細な特徴である。ここでは、カナダ英語の母音にみられる、カナダ英語特有の発音について解説する。
会話をクリックして、会話モジュールのなかで実際にどのように聞こえるか、確かめよう。