文のフォーカスとその調整
ふつうに想定されている文では、述語が表す事態の成立を伝えることが文を述べる目的です。つまり、平叙文であれば事態の成立そのものを述べるわけですし、質問文であれば、事態が成立するかどうかをたずねることになります。また、事態が成立しないことを述べるのが否定文です。
ここでいう「文を述べる目的」をフォーカス(焦点)と呼びます。
実際にことばを使うときには、事態の成立そのものがフォーカスになるとは限りません。たとえば、次の例の第一文では、「話す」という事態の成立そのものが否定されているのに対して、第二文では、「誰かに話した」という事態そのものは成立したうえで、「誰に」という部分がフォーカスになっています。
私はそのことをA子に話さなかった。
私はそのことをA子に話したのではない。
このように、日本語ではフォーカスの移動を表すための形式が文法的に備わっていますが、モンゴル語にも、同じようにフォーカスを調整するための形式が存在します。
モンゴル語のフォーカス調整形式
モンゴル語のフォーカス調整は、次の助詞による形式を基本のパッケージとして表します。これは、事情説明の表現のひとつと同じ形式ですから、発音と正書法上の注意はそちらを参照してください。
このとき、述語を形動詞形にしたうえで юм を置いた形全体は、文法的には巨大な名詞句と同じ扱いに変化します。つまり、名詞化することでフォーカスの移動が行なわれるわけです。これは、日本語のフォーカス調整形式である「の(だ)」とまったく同じ原理で、「の」がそのまま юм に相当します。
この形にしたあとは、ひとつの名詞句に対するのと同じように平叙文・質問文・否定文を作ると、フォーカスが移動した平叙文・質問文・否定文になります。
以下の例では、フォーカスがある部分を太字で示します。
Чи Хандаатай ярив уу? ハンダーと話しましたか?(『話した』という事態の成立そのものをフォーカスとして質問)
Чи Хандаатай ярьсан юм уу? 話したのはハンダーとですか?=ハンダーと話したのですか?(『話した』という事態の成立そのものから『ハンダーと』に質問のフォーカスが移動)
名詞句と同じ扱いですから、否定文は、補助動詞のないコピュラ文の否定と同じく биш によって作られます。
Би Хандаатай яриагүй. 私はハンダーと話しませんでした。(『話した』という事態の成立そのものをフォーカスとして否定)
Би Хандаатай ярьсан юм биш. 話したのはハンダーとではありません。=ハンダーと話したのではありません。(『話した』という事態の成立そのものから『ハンダーと』に否定のフォーカスが移動)
名詞化することがフォーカス移動の原理ですから、もともと名詞で終わる補助動詞のないコピュラ文の場合には юм が省略される場合が少なくありません。
Чи энэ сургуулийн оюутан уу? 君はこの学校の学生ですか?(『学生である』という事態の成立そのものをフォーカスとして質問)
Чи энэ сургуулийн оюутан юм уу? 君が学生なのはこの学校ですか?=君はこの学校の学生なのですか?(『学生である』という事態の成立そのものから『この学校の』に質問のフォーカスが移動)
Чи энэ сургуулийн оюутан уу? 同(質問のフォーカスが移動するも юм を省略)
また、否定文の場合には、動詞文であるにもかかわらず биш を使うという時点で、フォーカス調整の分であることがはっきりわかるため、юм が省略され、形動詞形のあとに直接 биш が置かれる場合も少なくありません。
Би Хандаатай ярьсан биш. 話したのはハンダーとではありません。=ハンダーと話したのではありません。(『話した』という事態の成立そのものから『ハンダーと』に否定のフォーカスが移動)
文の中にフォーカスになりうる要素がいくつもある場合は、述語にとっての必須性や文脈といったさまざまな条件でフォーカスが判断されます。そのときの母語話者の判断のプロセスを今後詳しく研究することが必要です。
また、モンゴル語のフォーカスの移動は、このような文法的な処理だけではなく、実際には微妙なイントネーションの変化も関係していることも推測されます。