東京外国語大学言語モジュール

Step2 : 人名の表現

モンゴル人の名前の仕組み
 
  現代のモンゴル人のフルネームは、父称及び名前という3つの要素から構成されています。
 
  は、社会主義時代に廃止され長らく使われていませんでしたが、最近になってから法律上の取り扱いを復活したものです。革命前の姓を忘れてしまった世帯も多く、明治時代の日本人のように、一時期は実際のルーツとは無関係に高貴な姓などを競って名乗るという現象も見られました。実際には、国民証カードなどの公的文書に記載されるだけで、社会生活ではほとんど存在が意識されません。
 
  父称は、革命後にロシア人の習慣を導入したもので、父親(事情によっては母親のこともある)の「名前」を本人の「父称」とします。
 
  名前は、本人がオリジナルで所有する唯一の名称です。
 
  モンゴル国の社会で本人を特定するときに使われるのは上記3要素のうちの名前で、大統領から赤ちゃんまですべての人が名前によって定義され、自己紹介のときも名前だけを名乗ります。これはカザフ系の市民でも同じです。他人を呼ぶのにふつう姓を使う日本社会の目からは奇異に映りますが、モンゴル社会では名前による呼称に親しみのような特別なニュアンスはありません。
 
  このように、日常生活では、姓はもちろんのこと、ロシア語とは違って父称でさえその人のプロパティとは意識されないのがふつうです。
  ただし、文書などで正式に人名を表記したり記名したりするときには、父称と名前をこの順序で並べることになっています。このとき、父称は属格になる場合と主格のまま置かれる場合とがあります。かつてはほとんどが属格だったのですが、脱社会主義以降は属格形を一切使わないという主義の人も増えています。
  正書法の面では、父称の綴りをすべて表記する場合と、頭文字だけを書き、省略した部分をピリオドで代用する場合とがあります。ただし、表記を省略した場合でも、口に出して読むときには父称をすべて読み上げるのがふつうです。
 
      Намбарын Энхбаяр   父称の綴りを表記+属格使用
      Н. Энхбаяр   父称の綴りを省略(読むときは上と同じ)
 
  なお、モンゴル国の旅券では、“given name”の欄に父称、“family name”の欄に名前というように逆に書くことになっています。これは、その人が外国に行ったときに父称で呼ばれないためにモンゴル政府が編み出した苦肉の策といえます。“family name”の欄に父称を書いていた旧旅券の時代には、オリンピック選手が父称で「○○選手」と呼ばれるなどさまざまな混乱があったからです。
名前のみによる表現
 
  前の項で見たように、ある個人を指すのに使われるのは、姓でも父称でもなくその人固有の名前ですが、名前そのものを単独で使用するのは、もっとも一般的な人名の表現です。このときは、「~さん」などに相当する要素をとくに用いることなく、いわゆる呼び捨ての状態になりますが、感覚としては日本語の呼び捨てと「~さん」の中間ぐらいのイメージです。
名前+地位を表す名詞による表現
 
  名前のみによる表現よりもやや丁寧さが高く、日本語の「さん付け」に相当する表現として、その人の地位を表す名詞を名前のあとに置く方法があります。
 
      【名前】  【地位を表す名詞】
 
  よく使われるものとしては次のような名詞が挙げられます。
 
 
名詞
その人の地位
名前 +
багш
教師
захирал
民間企業の社長
学校長
сайд
閣僚・大使
гишүүн
議員
дарга
ある組織単位の管理職
ах
自分より年上の男性
эгч
自分より年上の女性
өвгөн
高齢の男性
эмгэн
高齢の女性
 
  最後の4つはいずれも、日本語では「~さん」としか訳しようがありません。
 
      Цогбадрал багш  ツォグバドラフ先生
      Гүндалай гишүүн  グンダライ議員
      Батболд дарга  バトボルド課長(単に管理職という意味なので課長に限りません)
      Мэнд-Амар ах  メンドアマルさん
      Сарнай эгч  サルナイさん
      Авган өвгөн  アブガンさん
      Ичинхорлоо эмгэн  イチンホルローさん
 
  上記の表現は、相手との相対的な関係を話し手が念頭に置いている場合に限られ、その名詞が単に職業を表しているだけの場合は作りにくくなります。
 
      Мөндөр сурвалжлагч   (?)「ムンドゥル記者」
      Амгалан өмгөөлөгч  (?)「アムガラン弁護士」
職業を表す名詞+名詞による表現
 
  前の項の場合とは逆に、モンゴル語には、その人の職業を表す名詞を名前の前に置くことによって呼び捨てより上のニュアンスを表す表現があります。
 
      【職業を表す名詞】  【名前】
 
  この表現では、日本語とは語順が逆になりますので注意してください。いくら職業名が前に置かれていても、名前の部分は呼び捨てと同じになってしまいますので、日本人の感覚からは名前のあとにさらに何か付けたくなりますが、モンゴル語ではこれで十分に呼び捨てとは区別されます。
 
      сурвалжлагч Мөндөр  ムンドゥル記者
      өмгөөлөгч Амгалан  アムガラン弁護士
      элчин сайд Батчулуун  バトチョローン大使
 
  職業を表す名詞には、「大統領」・「首相」などの公的な役職を表すものも含まれます。このばあいも、名前の部分は呼び捨てになりますが、これで十分に敬称を付けたことになります。
 
      Ерөнхийлөгч Н. Энхбаяр  エンフバヤル大統領
      Гадаад хэргийн сайд Ц. Мөнх-Оргил  ムンフオルギル外務大臣
      Их Хурлын гишүүн Т. Хадбаатар  ハドバートル国会議員
 
  このような表記は公式な場合が多いので父称を付すことになりますが、日本語でこれをそのまま付けると不自然になります。 
  職業名の中には、日本語では名前のあとに付けないものもあり、この場合は完全に省略したり文脈に応じた訳を工夫するほかありません。
 
      дуучин Ариунаа  歌手のアリョーナー
特別な語を使った表現
 
  モンゴル語には、名前のあとに置かれて丁寧な呼称を作る гуай という語があります。
 
      【名前】  гуай
 
  この表現は、語感としては、日本語の「~さん」と「~様」の中間または「~氏」というイメージになります。日本語の「~様」ほどの感覚はありませんので注意してください。
 
      Шуурав гуай  ショーラヴさん~ショーラヴ氏
      Авхинсүх гуай  アヴヒンスフさん~アヴヒンスフ氏
 
 モンゴル語には、名前の前に置かれ、敬称よりも丁寧な尊称表現を作る次のような一連の語もあります。
 
      【尊称表現を作る語】  【名前】
 
  この場合も、名前の部分は呼び捨ての形のままなので日本人としては不安になりますが、これで十分に敬意を込めた表現となります。よく使われるものとしては、次のような語が挙げられます。なお、これらの語は、頭文字を大文字で表記する場合もあります。
 
名詞
 
対応する日本語
эрхэм
+名前
~様
хүндэт
~様
эрхэм хүндэт
~様
ноён
~様(男性)
хатагтай
~様(女性)
нөхөр
~同志(旧ソ連時代)
эрхэмсэг ноён
~閣下
цог жавхлант
~陛下
эрхэм дээд
~殿下
 
      ноён Эрдэнэчулуун  エルデネチョローン様
      хатагтай Мөнхтунгалаг  ムンフトンガラグ様
 
  これらの語が職業を表す名詞とともに使われるときは職業名が先になります。この場合、日本語訳の順序は適宜調整する必要があります。
 
      【職業を表す語】  【尊称表現を作る語】  【名前】
 
      Батлан хамгаалахын сайд, Эрхэмсэг ноён Ж. Гүррагчаа  国防大臣グルラグチャー閣下