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使役形の流用
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↓
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他動詞
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①→
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受動
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②↓
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自動詞
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典型的な受動構文
まず、他動詞の典型的な受動を表す構文は次のようになります。このタイプでは、動作の主体と動作を受ける主体を転換した他動詞文に戻すことが可能です。
төмөр зэвэнд идэгд- 鉄がサビに浸食される
← зэв төмрийг ид- サビが鉄を浸食する(他動詞文)
хулгайч цагдаад баривчлагд- 泥棒が警官に逮捕される
← цагдаа хулгайчийг баривчил- 警官が泥棒を逮捕する(他動詞文)
このような構文のうち、動詞が具体的な行為や動作を表していて、かつ、受動の構文の主語にその行為や動作の影響が及んでいる場合は、述語動詞の部分には、本来置かれるべき受動形に代わって使役形が「流用」されることがあり、現在ではむしろ、そのほうが自然な言い方だと考える話者も少なくありません。ただし、これはあくまでも流用であって、受動ヴォイスであることに変わりはなく、本来の使役の構文とは格関係が異なりますから注意してください。
төмөр зэвэнд идүүл- 鉄がさびに侵食される
төмөр зэвээр идүүл- (×)「鉄がさびに浸食される」
хулгайч цагдаад баривчлуул- 泥棒が警官に逮捕される
хулгайч цагдаагаар баривчлуул- (?)「泥棒が警官に逮捕される」
оюутан багшид загнуул- 学生が先生に叱られる
оюутан багшаар загнуул- (?)学生が先生に叱られる
他方、受動の構文の主語に動詞の行為や動作の影響が及んでいるとは言えず、動詞の部分が単に主語の状態を表しているような場合は、使役形を流用することはできず、本来の受動形を使う必要があります。
давс шөлөнд агуулагд- 塩がスープに含まれる
← шөл давсыг агуул- スープが塩を含む
давс шөлөнд агуулуул- (×)
тэр дуучин олон хүнд танигд- その歌手が多くの人に認知されている
← олон хүн тэр дуучныг тань- 多くの人がその歌手を認知している
тэр дуучин олон хүнд таниул- (×)
Монгол хоёр том гүрэнд хавчигд- モンゴルが二大国に挟まれる
← хоёр том гүрэн Монголыг хавч- 二大国がモンゴルを挟む
Монгол хоёр том гүрэнд хавчуул- (×)
「持ち主の受け身」
上のように、「動作の主体」と「動作を受ける主体」を転換するのが典型的な受動の構文ですが、日本語では、受動構文を作る際に、元の他動詞文の直接目的語を「動作を受ける主体」と「その一部分」に分割し、前者を主語、後者を直接目的語のまま残すタイプの構文(持ち主の受け身)があり、むしろ日本語ではそちらのほうが自然な言い方になります。
ツッコミが〔ボケの頭を〕はたく(元の他動詞文)
→〔ボケが〕ツッコミに〔頭を〕はたかれる
(「ボケの頭」を「ボケ」と「頭」に分割し、「頭」だけを直接目的語のまま残した形)
↔〔ボケの頭が〕ツッコミにはたかれる(普通の受動構文=直接目的語なし)
このような構文はモンゴル語でも作ることができますが、モンゴル語の場合は、日本語とは違って動詞の部分に受動形を使うことができず、もっぱら使役形の流用が行われます。もはや直接目的語をとることができない受動形よりも、流用しても他動詞の性質をそのまま維持している使役形のほうが辻褄が合っているからだと推測されますが、このあたりの制約は、モンゴル語のほうが日本語よりも厳密であると言えます。
шүүмжлэгч тэр зураачийн бүтээлийг сайшаа- 評論家が〔その画家の作品を〕褒める(元の他動詞文)
→ тэр зураач шүүмжлэгчид бүтээлийг сайшаалга- 〔その画家が〕評論家に〔作品を〕褒められる
(「その画家の作品」を「その画家」と「作品」に分割し、「作品」だけを直接目的語として残した形)
→ тэр зураач шүүмжлэгчид бүтээлийг сайшаагд- (×)
→ тэр зураачийн бүтээл шүүмжлэгчид сайшаагд- その画家の作品が評論家に褒められる
→ тэр зураачийн бүтээл шүүмжлэгчид сайшаалга- 同(使役形の流用)
日本語の発想法では、「その作家の作品」という「物」よりも「その作家」という「人」を主語にすることが好まれると言えますが、モンゴル語の発想法でどちらの構文がより好まれるのかについては今後の詳しい研究が望まれます。
動作の主体を言い表さないもの
自動詞的な用法に近づく次の段階として、動作の主体は現実には存在するものの、ことばとしては言い表さないというパターンがあります。この構文から先では使役形の流用はなく、本来の受動形が述語となります。
事実上自動詞として使われるが受動構文の名残を残すもの
次に、動詞の語彙的な意味としてはすでに事実上の自動詞となっているのに対し、構文の面からは、本来動作の主体だった部分を表そうとすると依然として与位格で出てくる一連の動詞があります。
もっぱら自動詞として使われるもの
нуу- 隠す
→ нуугд- 隠れる(自動詞←他動詞『隠す』の受動『隠される』から発展)
хулгана нүхэн дотор нуугд- ネズミが穴の中に隠れる
үз- 見る
→ үзэгд- いる(自動詞←他動詞『見る』の受動『見られる』から発展)
Бааст сургууль дээр үзэгд- バーストが学校にいる