東京外語大の画期的な多言語Web教材      「e とらんす」7月号掲載記事より

―TUFS言語モジュールが変える21世紀の外国語教育―

4月9日、府中市の東京外国語大学で、21世紀COEプログラム「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」の成果発表会が開かれた。眼目となるのはこのプロジェクトの成果の一つ「TUFS言語モジュール」。新しいインターネット上の言語教材であり、マルチリンガルの外国語学習システムである。現時点で開発途上であり最終形には至ってはいないが、プロジェクトの拠点リーダーである同大外国語学部・川口裕司教授の説明を中心に、このWeb教材のアウトラインを紹介しよう。

言語情報学とは?

 「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」とは、2002年から開始された文部科学省の「21世紀COEプログラム」に採択された東京外国語大学による研究プログラム。言語情報学とは、情報工学を基盤にして言語学と言語教育学を統合した新しい学問分野の名称だ。言語情報学の登場によって、従来の外国語学習は以下のような変革を遂げるという。

1)目的別の外国語学習 「発音だけを限られた時間で身につけたい」「文法は嫌いだが会話学習なら意欲が湧く」「外国語はまず単語を基礎に固めたい」などなど、外国語学習者のニーズはさまざま。こうした多様なニーズに応えていく。

2)多言語学習の実現 外国語は異文化への重要な入口。そういう入口を早い時期に、間口を広く見つけておくことは日本の高校・大学における外国語学習にとって非常に重要。多言語学習を通して、言語だけでなく、その地域の文化・歴史・社会に対する教養を身につけていくことができれば理想的。

3)Web技術を使った学習効果の改善 マルチメディアの利用で、より高い学習効果が期待できる。

4)ユビキタスな学習環境(e-Learning化) インターネットの普及によってパソコンの端末から自由に、いつでもどこでもインターネット接続ができる学習環境を実現する。

 これらの目的を達成するために考え出されたのが、東京外国語大学Tokyo University of Foreign Studiesの頭文字を冠した「TUFS言語モジュール」である。

TUFS言語モジュール

[17言語によるWeb教材]
英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、朝鮮語、モンゴル語、インドネシア語、フィリピノ語、ラオス語、ベトナム語、カンボジア語、アラビア語、トルコ語、日本語

http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/index.html

 現時点で対象となるのは上掲の17言語。英語以外の言語教材は、主として大学生が初めて新しい外国語を学ぶための教材として用いることを想定。英語は小学校での総合学習または中学で初めて学ぶ外国語としての英語を念頭に設計されている。

目的別の外国語学習

 TUFS言語モジュールは「発音」「文法」「会話」「語彙」という四つのモジュール(部分)からできている。従来の語学教材の多くはこれらの要素を一括して扱ってきたが、モジュール的な発想では、「言語はこの四つの部分が独立しながらも互いに緊密に連関して一つの全体を構成している」と考える。これがTUFS言語モジュールの基本理念だ。
 例えば、ベトナムのホーチミン市へ会社員が出張することになったとしよう。彼はまだベトナム語を一度も聞いたことがない。しかし発音だけを速習したい。ではどうすればよいのか。この会社員のニーズには、ベトナム語の発音モジュールが対応する。
 前出の「目的別の外国語学習」で掲げたように、外国語の学習を行う多様な学習様式やニーズに、このモジュール的な発想が対応できると考える。
 同じく会話モジュールだけを使い、文法に煩わされずに日常的な会話を学習することができる。会話モジュールのある箇所に文法的な説明が欲しければ、各モジュール間に張られたリンクをたどって文法モジュールの中に答えを見つけることもできる。語彙モジュールを使って基本的な語彙を一気に学んでしまうことも可能になるという。
 現在は、発音モジュール(12言語)、会話モジュール(17言語)だけが公開されているが、2年内に「文法」「語彙」が加わり、四つのモジュールが完成する予定。モジュールは本来、大学の中でさまざまな使い方がされることを想定したものだが、ネットワーク上に公開されており、誰でも無料でアクセスすることができる。

言語を横断する視点

 17言語の各モジュールがゆるやかな「共通の枠組」で作られていることもこの教材の大きな特徴だ。もちろん共通の枠組が設定されていながらも、各言語の個性が生かされている点も見逃せない。
 例えば会話モジュールでは、日常のコミュニケーションで用いられる言語のさまざまな機能(役割)を実現する表現を、「1.挨拶する」「2.感謝する」から「40.人を紹介する」に至るまで、40の言語機能に分類し、会話の中で実際に使われる状況とともにパターン化している。

ラオス語会話モジュール(教室用)

共通の枠組となる40の言語機能は、ヨーロッパやアメリカのシラバス研究を土台に選定された。

 会話には動画がついており、ブラウザ上で会話全体を再生したり、一文一文を聞くこともできる。文章や訳文を表示させるか否かも選択できる。反復や役割練習という実用性の高い使い方ができる構造となっている。さらに会話モジュールでは、上の「教室用」ページのほかに、四つの学習モデルを想定した「学習者用」ページも用意されている。

カンボジア語会話モジュール(学習者用)

 使い方は簡単。40の機能のどれかを選んで学習モデルを選択する。あとは画面の上の指示に従って、右下の「進む」をクリックするだけ。何回でも繰り返し練習できる。
 プロジェクトが2004年度中に完成を予定している第三のモジュールは「文法」だが、ここでも共通の枠組が考えられているという。一つの言語の文法を学ぶこともできるし、複数の言語の文法を横断的に眺めることも可能ということだ。この言語を横断する「通言語」と呼ばれる視点を導入した文法教材の開発は、同プロジェクトならではの発想といえる。

ユビキタスな多言語学習

 多言語を扱っていることもTUFS言語モジュールの特色の一つ。モンゴル語、ラオス語、カンボジア語は世界初のウェブWeb教材という。国内に学習環境がない言語でも、このTUFS言語モジュールを使うことで、中学高校の時からさまざまなな外国語に触れることが可能となる。また現在扱っている17言語から今後さらに他の言語へも開発を広げる可能性があるという。東京外語大では、今年度から試験的にTUFS言語モジュールのe-Learning化が始まり、ユーザーの利用状況などが一元的に管理される。またTUFS言語モジュールを用いた言語能力記述モデルの研究も始まるそうだ。多言語の言語能力を共通の物差しで測ろうとする試みで、アジアの諸言語が含まれている点で画期的な研究となる。

21世紀の外国語大学

 21世紀COEは各大学の将来構想につながるプロジェクトと考えられる。東京外国語大学はこれまで日本人が外国語を学ぶ大学だと思われてきた。この常識を同プロジェクトが覆そうとしている。日本人が外国語を学ぶだけでなく、外国語で日本語や他の言語を学ぶこともでき、モジュールの双方向性が実現される。プロジェクトは既にそういう試みを始めており、現時点で、英語と中国語(繁体字)とモンゴル語で日本語の発音や会話を学ぶことができる。

TUFS言語モジュール(多言語版)

http://www.coelang.tufs.ac.jp/english/modules/

これはモンゴル語を母語とする学習者が日本語の発音を学ぶためのページ。

 TUFS言語モジュールが双方向性をもつことにより、同大学のような外国語大学は、「日本人または外国人が、外国語または日本語を学ぶ大学に変貌を遂げる」可能性を胚胎している。そして、その日の到来はそう遠くないかもしれない。研究の成果を見守っていきたい。

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本ページは翻訳情報誌「e とらんす」2004年7月号 pp.58-59に掲載されました。ここでは(株)バベルの許可を得て転載しています。