否定辞 ne の脱落

否定辞 ne については社会言語学的研究もすでにあり、話しことばの文法事項としては最もよく研究されているテーマの1つです。
ここでは3つの話しことばコーパスで ne の脱落について調べました。
 
ce n'est pas possible c'est pas possible 「あり得ない、まさか」を調べてみました。全部で86例ありました。単純に集計すると、全体の81%で ne が脱落することになります。
 
表現
出現数
 
表現
出現数
c'est pas possible
58
 
ça sera pas
1
ce n'est pas possible
10
 
ce sera pas
1
c'était pas possible
5
 
il est pas
1
il n'est pas possible
3
 
il nous est pas possible
1
ce serait pas possible
2
 
il ne lui est pas possible
1
ça n'est pas possible
2
 
il nous semble pas possible
1
 
しかしさらに詳細に調べてみると、次のような傾向が見られました。... pas possible型は否定辞 ne の脱落を表しています。
 
トゥールとオルレアン・
コーパス
出現数
ne
脱落率
 
オーヴェルニュ・コーパス
出現数
ne
脱落率
... pas possible
63
90
 
... pas possible
7
44%
ne ... pas possible
7
10
 
ne ... pas possible
9
56%
 
出現回数が少ないので確たることは言えないでしょうが、どうも ne の脱落には地域差があるようです。オーヴェルニュ・コーパスでは明らかに ne の脱落が少ないように思えます。さらにデータをミクロなレベルで観察して見てみました。オルレアン・コーパスの中には ne ... pas possible 型が全部で7回出てきます。そのうちの4回が同一人物でした。つまり ne の脱落には、個人の言語習慣も関係していることがわかります。この傾向は、ce n'est pas vrai c'est pas vrai についても言えます。オルレアン・コーパスの中で2回 ce n'est pas vrai  と言っているのは、やはり同じ人です。
 
表現
トゥール
オルレアン
オーヴェルニュ
c'est pas vrai
 
7
2
ce n'est pas vrai
1
2
2
ça n'était pas vrai
 
2
 
c'était pas vrai
 
1
 
 
ところで ne が脱落してもしなくても意味には何ら違いがありません。実を言うと、このオルレアン・コーパスで ne を脱落させる人物は、両者の間を揺れ動いている人なのです。次の例を見てください。彼は ne を脱落させて言った直後に、それを言い直しています。
 
... euh ma paye ne suffirait pas pour faire vivre ma famille c'est pas possible ce n'est pas possible donc... [orleans/t149.txt]
「・・・つまり、私の給料では家族を養うのに十分じゃない、あり得ない、あり得ないんだ、だから・・・」
 
謝辞
ここで扱っている言語運用データは現代フランス語の延べ201時間(111万語)の話しことばコーパスです。これらはいずれも1960年代末から70年代半ばにかけて、イギリスのフランス語教員たちが行った録音データを文字化したもので、現在、3つのコーパスはルーヴァン・カトリック大学文学部言語学科のサイトELICOPに掲載されており、検索ツールも3種類用意されています。資料の利用許可を与えていただいた同言語学科に感謝します。